7.山賊の拍子木打ち


  ある時、恵秀は寺の用務を帯び、米沢から京都の本山本願寺へ納める二百両の金を携えて道を急いだ。途中福島の先にある伏拝という峠にかかった。もう日はどっぷりと暮れてしまって、人通りも絶えた。ふと行くてを見回すと路傍に焚き火を囲んで風体怪しげなる数人の者どもが眼を光らせながら何やら待ちあぐんでいる様子である。

 恵秀は構わずズンズンと近づいてゆく、彼らの1人が突然道をさえぎって

「これ旅の人、改めて名乗らずとも、こちと等の稼業は大概わかっただろう、命が惜しくば身ぐるみおいていけ、それとも山刀の錆になりたいか」と怒鳴った。山賊は合計6人、どれも芝居に出てくるような人相の良くない奴らばかりである。この時恵秀は二百両を胴巻きの中に持っていたのだが、懐中から小出しの財布を取りだし、五両の金を彼らの面前にばら撒まいた「それ、これをやるぞ」と言いながらズンズン行過ぎようとした。山賊共は直にその後を追って「まだ持っているだろう、有り金残らず出してしまえ」という。恵秀も僧侶の身である。何も好んで無益な殺生をしたくないが、こうなれば、どうにも仕方がない。近寄る2人の賊の襟髪を押さえつけ、まるで拍子木の様に2度、3度と頭と頭を打ちつけた。脳骨がザクザクと砕け同時に両眼が飛び出した。1人の賊は谷底へ蹴りころがし、1人は樹の上へ高く蹴り上げた。残った四人の賊共は驚き慌てて逃げようとする間もあらばこそ、2人ずつ押さえつけ前同様拍子木打ち、突差の間に6人ことごとく息絶えてしまった。あとで見るとまるで天狗にでも撲ち殺されたような有様であったという(この話は恵秀の甥にあたる宮内正徳寺の住職が直接聞いたことを子の観竜に伝え、観竜が更に友人の堀内素堂(神保蘭室の高弟であり、蘭医として有名)に話し、素堂は自身の著書「鶴城世説」に書き記したところである)

 彼の大力は素より天性には相違ないが、一説に老狐から授かったものであるとも称されている。ある時愛宕山の麓へ仏前に供える花を採りに出かけた。しばらくすると

「石から火が出るか?金から火が出るか?」(昔は火打ち石と金とを打ち合わせて発火させていた)という声がどこからともなく聞こえてくる。恵秀が黙って返事をせずにいるとまた重ねて同じことを繰り返すので、それに彼は答えるともなく「子は父から出るか、母から出るか」と、独り言をした。そうすると「これからお前に大力を授けてやる」という声がした。そしてなおも山麓に進んで愛宕の山麓。不動尊を祭ってある所へ来た。そうすると突然山上から三~四尺もある大岩石がゴロゴロと転がって来た。恵秀は思わず脚をひょいと出して、大岩石を苦も無く食い止めたのであった。

 他の一説には、危難に陥っていた老狐を助けて逃がしてやった。そうすると間もなく夢枕にその老狐が現れ、先日は危うき命を助けてくれてお礼の申述べようもない、ついては返礼として「知恵を授けて上げようか、大力を授けて上げようか」と言った、その時恵秀は「知恵はいらぬから、大力を授けて欲しい」と答えた。以来自分でも驚くような大力が出るようになった。真偽は保障の限りではないが、口碑のまま、記しておく。

 

大力和尚恵秀にあやかり境内にある恵秀の墓へ三度お参りすると、三十五人力のご利益があります。